こう叫びたくなる時があるんだよな!


1998年2月28日

 今日は人気の高いワーナー・マイカル・シネマズ新百合ヶ丘へ行ってきました。“フェイスオフ”の封切り日の初回です。ところがとんでもない事件が発生。本編が始まったと思ったらいきなりピンぼけでおまけに画面も歪んでしまうではないですか。すぐに中断、しばらくして再開したところまたもや同じことに。さすがに観客も怒り出して、罵声を浴びせる始末。結局映写機の調子が戻らず、何と上映中止に。私の子供の頃の下町の映画館ではこんなことは日常茶飯時でした。突然画面に煙が映ったと思ったら、いきなりフィルムが切れて真っ暗になってしまうのです。観客も慣れたものでまたかという程度で、のどかなものです。ですから封切りからしばらくして観に行くとフィルムはつぎはぎだらけで、途中でいくつも場面がブチブチと切れていたものでした。今の時代にまさか途中で上映中止になろうとは想像もしませんでした。まったくあきれるやら、馬鹿らしいやら。でも、招待券を1枚くれたので許してやろう!(われながら、もらい物に弱い...)


1998年2月22日

 長野オリンピックも欽ちゃんの思いっきりつまんない司会でめでたく閉幕しました。全日本人をとことんハラハラさせた原田くんには感動しました。“多英、すごい!”を連発していた解説者には思わず“おまえ、多英とどういう関係じゃい!”と言いたくなりました。小林幸子風伊藤みどりには開いた口がふさがりませんでした。今日テレビに出ていた清水くんの眉毛が長くなっていました。

 いやな季節になりました。先週あたりから目がかゆくてたまりません。うちのテニスコートのそばは杉林なので最悪です。花粉がひどい時にはマスクをかけたままプレイすることもありますが、どう見ても怪しい格好です。4月いっぱいは目薬と点鼻薬を手放せません。


1998年2月19日

 ヨメさんの父上が亡くなったので昨日、今日と2日間会社を休みました。身内側として人の死に立合うのは始めてだったので、あわてて冠婚葬祭のハウトゥ本を買ってきたような始末です。臨終からお通夜、告別式、火葬と経験してみると一連のシステムが良く分かりよい勉強になりました。一番驚いたのは湯灌(ゆかん)という儀式です。棺に納める前に親類縁者が死者を洗い清める儀式で、実際にはほとんど斎場の方が洗い清めます。女性2人で行うのですが、生きてる人を洗うのと全く同じ要領で足の先から頭髪までまことに丁寧に洗うのです。見ず知らずの他人を、しかも死んだ人間のからだを洗い清めるなんて、ただただ頭が下がる思いでした。少なくとも私には絶対にできない仕事です。いろいろな経験をした貴重な2日間でした。


1998年2月15日

 昨日はバレンタインデー。私の若い時にはこんな風習はなかったし、うちの親もクリスマスさえ“やっちもない!”(岡山弁でしょうもないとかつまらないという意味)といって無感心な家柄でした。今考えるともともと家が貧乏だったのでお金がかかることは少しでも避けようという親の魂胆だったように思います。親の家業は散髪屋で、当時ビートルズが人気で大流行したものですから商売は大打撃を受けていました。おまけにせがれはビートルズ狂いの上に薄汚い長髪で、商売のじゃまだから店をうろつくなとよく追い払われたものでした。

 昨日はやっと暖かくなり1ヶ月半ぶりにうちのテニスコートも再開することができました。ところが少しやるとすぐ手首を痛めてしまいます。どうもバックハンドを片手で打っていることがまずいようです。テレビでサンプラスが打っているのを見ているといとも簡単に打っているので、なんだああやればいいのかとイメージトレーニングだけは満点でのぞむのですが、いざ打ってみると自己流の悲しさを露呈してしまいます。さすがにシングルハンドはいつまでたってもうまくならないので一大決心をして両手打ちに変更することにしました。試しに打ってみましたがなんとなくうまく打てそうなのでしばらく練習しようかと思っています。両手打ちのイメージトレーニングはアガシとヒンギスで充分積んできました。(これでできりゃ、誰も苦労せんわ!)

 そのアガシがサイベースオープンでチャンをストレートで破ってなんと決勝進出!!ワイルドカードからの勝ち上がりです。決勝の相手はサンプラス。ファンにとっても主催者にとっても願ってもない顔合わせになりました。しばらく女に入れ込んでいたので心配だったのですが待望の復活です。あんな美女が相手ならしかたないでしょう。“青い珊瑚礁”のブルック・シールズはメチャ可愛かったなあ...


1998年2月11日

 清水宏保の金メダルはほんとにえらい!プレッシャーに弱い日本男子が多い中で2日ともぶっちぎりのトップというのは凄いの一言。1日目が終わった後どんな気持ちで夜を過ごしたのでしょう。私には想像がつきません。 逆に里谷多英の金メダルは無欲の勝利でした。上村愛子ばかりに話題が集中していたのでかえってリラックスできたのかもしれません。飲み屋の話題でも愛子ちゃんはおじさんたちの人気を独占していました。(おじさんは何をチェックしとるんや、トホホ...)


1998年2月8日

 東レPPOの決勝はレベルの高いゲームでした。優勝はダベンポート!ヒンギスもそんなに悪くはなかったと思いますが何しろダベンポートが良すぎました。サービス、ストローク、それに小技。ショートクロスの打ち分けなど、伊達にボコボコにやられた時から比べると格段の進歩です。次の課題はグランドスラムの制覇でしょう。ヒンギスの談話も相変わらず小憎らしい。『私はグランドスラムさえ獲れればいいんだもん!』
 一度、生ヒンギスを観たいと思いましたが、私のような貧乏人には入場料が高すぎて二の足を踏んでしまいました。選手が豆粒にしか見えない3階の自由席でさえ当日4000円ですから。結局今回も予選だけになってしまいました。そういえば予選を観にいった時に起こった出来事を話していませんでした。この時私は買ったばかりのソニーのデジカメ、マビカを持っていって写していました。そうしたら係員がつかつかと寄ってきて...

係員 それ、しまっていただけませんか。
私  なんで?
係員 ムービーは禁止になっております。
私  これムービーやない。デ・ジ・カ・メ。
係員 あっ、そうですか。失礼しました。

今度は場所を変えて撮っていると、また係員が寄ってきて...

係員 すみません、ビデオは撮影禁止なんですけど...
私  ああ、さっきも間違えられたんですよ。これはデ・ジ・カ・メ。

しばらくして、また別の係員が寄ってきて...

係員 申しわけありません、ここはビデオ撮影禁止なんですけど...
私  (頭の中で何かが切れる音がした...)
   何回も同じこと言わせるんやない!この×××!○○○!▲▲▲!!

係員は二度と寄ってきませんでした。


1998年2月3日

 東レPPOが始まったと思ったとたん何とルチッチが1回戦敗退!16位までに上がった杉山愛ちゃんは無難に1回戦突破しましたが、テレビで見る限りどんどんスリムになってきています。個人的にはもうちょっとふっくらしていたほうが好きなのですが、少しやせ過ぎのように思います。東レPPO予選のページにコメントを付け加えました。ぜひご覧ください。(こちら


1998年2月1日

 何とわが相原テニスクラブのコートにはまだ10cmもの雪が積もっています。どうだ、すごいだろう!(ほとんど、やけくそ)てなわけで土曜日と日曜日は東レPPOの予選を観にいってきました。往復の電車賃と昼食代を入れても約2000円、これほど安く上がる娯楽もそうそう他にはないでしょう。東京体育館は予選の日でもちゃんと売店は開いているし安い弁当も売っているので安心して1日遊ぶことができます。それに空調もほど良く調整されているので昼寝をするにも快適です。(実際、テニスも観ないで居眠りしている人がいっぱいいる。)
 今回は買ったばかりのソニーのマビカを持っていって試し撮りをしてきました。出来のほうは今一つというところです。「テニス観戦に行ったゾ!」のコーナーに速報版を入れてあるので見て下さい。まだコメントは入れていませんが意外な人が写っています。このカメラはメディアがフロッピーディスクなので枚数を気にしないでたくさん撮れるのがいいところです。試合のほうは残念ながら日本選手は2回戦で全員敗退してしまいました。ティア1の大会なので外国選手もかなりレベルが高いようです。平木理化ちゃんも遠藤愛ちゃんも1回戦で負けてしまいました。
 東レPPOを観にいっていたのでオーストラリアンオープンの決勝はほとんど結果しか知りません。ビデオを見た後でコメントしましょう。それに東レPPOで起こった思いがけないできごとも。